浄土真宗 東瑞庵
全ての人々が心の拠り所として今も語り継がれている仏教の真髄を我々の生活に少し寄り添わせるだけで誰もが救われる場所がここにはあります。
かつて仏教が日本だけに留まらず世界の人々の心を救ってきたことが過去のエビデンスとしてあり、世界観に応じた変化から文化や地域の人々の智慧によって根付いてきたのです。これから目指す社会は仏教から教えを給わなければならないのです。
Tozuian Present by Zuiken
東瑞庵とは
何故人は生まれて来たのでしょうか?
生命が誕生してから幾年もの歳月を経て、我々が智慧を持つことで秩序や道理が世の中を平和へと導いてきたのです。
その中に万国共通にあった宗教観は必ずあり、絶対的な幸せを人々は求め彷徨い歩んできたのです。
今の幸せは自分自身が創り上げたものでは無く、先人の生きる希望と言うべき観念から見出されてきた結晶なのです。
この意味を我々は考えながら理解して未来に託せる存在として生命を全うしなければならないのです。
そして、仏教から得る真の幸せを見出す必要があるのです。
by Zuiken
本当の幸せとは
自分の個性
個性とは自分が生まれきた時に既に身に付けたデザインであり、デザインを表現して周りに良い影響を与えることが自分らしさに繋がる事になるのです。
個性とは自分の意思や生きる意味を外側に打ち出し、自分が生きる証、打ち出す表現から自分を更にブラッシュアップする方法でもあるのです。
生き甲斐や生きる意味は個性からなるものとして理解しなければならないのです。
囚われない心
この世界には色々な考え方があり、考え方の根源は単に知識からなる手法として見出されてきただけに過ぎず、今までの価値観が今もそうであるとは限らないと言うことなのです。
知識の習得は自分への成長となるが価値観までも知識として与えてしまう事は未来進化を阻害させてしまう要因となるのです。
既成概念に囚われない考え方こそ、新たな境地に導いてくれるのです。
周りへの感謝
自分が生きていく為には必ず誰かの助けが必要となるのです。
自分はこれから一人で生きていくと豪語してもそれは単なる独りよがりに過ぎず、生活していること自体に誰かからの助力によって生かされているのです。
だからこそ日々への感謝が必要なのです。感謝が出来る自分は他人よりも智慧を持った証であり、感謝こそ最大の幸福と理解できるのです。
共感した仲間たち
感謝が出来れば必然的に仲間や知人や恋人、家族やクラスメイトなどの人間関係が上手く機能されていき、生き方自体スムーズな展開が待ち受けてくると理解できるのです。
そこから沢山の同じ意識を持った仲間が集まってきて、更に自分自身の価値を認めてくれる良きアドバイザーとなるのです。
仲間とは沢山いるから仲間意識が働く訳では無く、仲間は自分が困った際に必ず現れ助けてくれる存在だと認識できるのです。
阿弥陀如来
この言葉が我々にとって永遠の安らぎとなり日々の生活に欠かすことのできない存在となり、彼岸に帰依する唯一の手段となるのです。
念ずれば浄土へ道しるべとなり、全て阿弥陀如来に身も心も委ねる事が生きる希望を見出してくれるのです。
時代が変わっても浄土への彼岸は誰もが望む唯一の願いでもあり、いつか肉体は滅びゆく不安も阿弥陀如来への信心さえ持ち続ける事が出来れば必ず浄土へ帰依するものと約束されているのです。
東瑞庵では現代版仏教として当時お釈迦様や親鸞聖人が意図していたことを噛み砕きながら、日常生活への気付きとして理解して頂き、悟りと言う境地に一緒に彼岸に向かうことを自身が漫談家僧侶として共に皆さんと目指したいと考えております。
by Zuiken
彼岸とは
いつしか人はもとある場所に帰依していき、今世で学んだ事を心に刻み彼岸へと帰る事を意味しているのです。今、生きる意味を理解するならば全ては記憶に残す為に幸せの在り方を感じ取らなければならないのです。
人は迷うからこそ真実を知れる、自身が成長したと自覚した際に、彼岸することを意味しているのです。彼岸こそ我々が目指す心境なのです。
肉体を持つことはとても特別な経験をもたらし、意識だけでは成し得ない成長を魂に促がしてくれるのです。このことから生命の意味がどのように我々の存在価値を見出してくれるのかが理解できるのです。
生命が今の自分を創り出しており、喜怒哀楽を死ぬまで体感できることが大切な時間を過ごす結果となり、1秒1秒刻一刻と死に向かっているのです。
自身の身体を使って五感から表現する大切な時間を過ごすことは何より変え難い経験となるのです。
彼岸の意味としては、1.向こう岸。対岸。 「―の村里に立つ炊煙」対義語は此岸。2.仏教仏道に精進(しょうじん)して煩悩(ぼんのう)を脱し、涅槃(ねはん)に達した境地。3.春分・秋分の前後各三日、合計七日間。また、そのころの季節。4.「ひがんえ」の略。
特に2についての意味合いが強調された考えですが、我々がこの世に誕生してから死に至るまでの間には様々な人間の五感に刺激を受けた際に引き起こる欲求が自分の感情に作用されてしまい、現実至上主義の渦に引き込まれる結果となるのです。
我々が持つ欲求に対して如何に心を自制する働きをもたらすかを考えなければならないのです。
その為の仏教として阿弥陀様からのご慈悲を給いながら、現実の姿を見失わないようにする事が必要なのです。
その際に必ず彼岸を約束される事に繋ながり、結果、煩悩から解放され自分の人格の成長にも繋がるのです。
彼岸によって我々は永遠の幸せを掴むことができるのです。
by Zuiken